愛機称揚・ニコンFE


 今日更新しないと8月の更新がゼロになってしまうという消極的理由によって更新です(苦笑)。どうにも最近は余裕がなくっていけませんな。しかも最近全然音楽を聴いてないのですよ。というか、聴けない。この思想的問題はもうしばらく解決までに時間がかかりそうなので、暫くは写真と戯れようかと思っております。以下文体変更:-)

 さて、今回も機材の話で恐縮だが、ニコンFEについて。フィルムカメラの凋落振りはここ最近さらに顕著なものとなりつつあって、先日某カメラ店に行った時など、かつて憧れたニコンF100という価格にして10数万円したカメラが中古で2万5千円で数台売られているのを見て泣きそうになりつつ、反面衝動買いしてしまいそうな勢いでショーケースから出してもらってじっくり検分したものの、シャッターの調子が若干くたびれ気味だったので後ろ髪引かれる思いで諦めたのです。

 そのとき久しぶりにAF機に触ったのだけれども、これだけしっかり作られているカメラでも、どうにもしっくりこず、もはや自分の感覚が依怙地なものとなっているということに愕然としたのだ。このことを改めて考えてみると、このデジタル時代にぼくがMF機と心中せんとする理由は次の4つだ。(1)ピントを自分で合わせるということ、(2)露出を自分で決定すること(少なくとも絞りは決定する)、(3)巻き上げを自分で行うということ、(4)巻き戻しを自分で行うということ。さきに挙げたF100というカメラは、MFのレンズが使えるという点で最近の機種の中では稀有なものだが、それでも(3)と(4)の自由は強制的に奪われてしまう(AF機は一部の例外を除いて(3)と(4)は自動化されている)。

 この自由(特に(3))は重要だ。ぼくは、撮影のあと、フィルムを実際に送る感覚がないと耐えられないらしい。なぜなら、シャッターを切った直後というのは、それが客観的にみてどんなにヘボいカットであったとしても、撮影者にとっては意味のある時間であると思うからだ。その時間は、撮った瞬間に頭に湧く、出来上がり写真のイメージを想像する時間である。そしてその後自らフィルムを送ることで、そのカットは頭の中でリセットされる。この点、撮影直後すぐ自動的にフィルムを送られてしまうと、定着したイメージを想像する間がない。もちろん、慣れてくれば事前にイメージして撮影するようになるのだろう。それでも、撮影後にイメージする時間―それはおそらく計時することが難しいくらいの主観的な時間だろうけど―というのは、全ての写真家に等しく与えられた至福の刻だと思っている。

 以上の理由から、ぼくは自動巻き上げは好きでない*1。だから、デジタル時代でも、手動巻き上げの(もちろんフィルムを巻き上げるのではなく、シャッターをチャージする役割をもった巻き上げレバーがある)エプソンR-D1というデジタルカメラに期待していた。しかしこれは売り方がまずすぎて、おそらく一代で絶える運命にある(廉価機は戦略上必要だったろう)。

 さて、ニコンFEと離れてきたので話を戻すが、このカメラは1978年発売だから、F2,F3の時代を支えてきたミドルクラス機だ。あまり話題に上らない特色として、カメラ名の刻印が正面にみられないという点を挙げたい。このことにより、まさにナイコン・カメラ*2としての個性のみを主張するという奥ゆかしさを感じることができる。ザ・一眼レフという外観のベーシックさ・シンプルさと相俟って、まるで、無印良品のデザイン的名品を見ているかのようである。これ以降の機種では、必ず機種名が正面向かって左肩に刻印されることになり、少しうるさい印象がある。

 造りは極めて堅牢。大雑把な比較になってしまうが、冒頭に挙げたF100に決して劣らない。同世代・同クラスで他社と比べたとき、ニコンの堅牢感は圧倒的だ。どこまでも頑健で隙が無い。ブラックペイントの塗りも良い。

 絞り優先AE、追伸式露出計で実用性もあるし、スクリーンを最新のものに交換することで、フラッグシップ機であるF3をも凌ぐ見え味になる(おそらくニコン1眼レフのなかで最良クラスの見え味であろう・何せファインダー倍率が0.86倍もある!)。但し、露出計のスイッチを入れたとき針がときどき出ないことがある(持病)。このときシャッターを切っても最高速で切れてしまうので注意(スイッチを入れなおせば治る)。OHすれば完治するのだろうけど、めったに発症しないし、発症に気づくことができるしで、修理には出さずじまい。そのうち出したいとは思ってます。

 あと、いかんせん30年前のカメラなのでシャッターの調子が個体によってまちまち。残響音の出ているものが多いようだ。いま手元にあるのは何台か使った中での最良のもので、残響音は皆無。

 シャッター速度は最速1/1000だし、超小型というわけでもない。しかし、そこから立ちのぼるアウラ*3は間違いなく、カメラがプラ化・超大量生産化によって誇りを失う前の、最後の世代のそれである。

*1:ぼくが大好きなリコー・オートハーフは自動巻き上げだから矛盾すると言われるかもしれないが、それはケースバイケースということで(笑)。

*2:お約束な説明:サイモン&ガーファンクル「コダクローム」の中に次の一節がある・・・「I got a Nikon camera - I love to a photograph - So mama don't take my Kodachrome away」。ニコンのカメラはブランドとして確立していた。このことは、今でいう「ニコン・クオリティーをあなたにも」というちょっとアレな宣伝文句(D40)の基になっているとも思われます。

*3:アウラは複製芸術には宿らないという突っ込みは勘弁して下さい(-_-;)。