マラ8/ベルティーニ指揮&ケルン・西ドイツ放送響


マーラー:交響曲全集

マーラー:交響曲全集


ベルティーニ:交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」

ベルティーニ:交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」


 マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」。上の紹介だと「8千人の交響曲」にも読めますが、さすがにそれは多すぎ(笑)。「千人の交響曲」です。サブタイトルの由来など、曲の情報については、wikipediaに詳しい。

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 マーラーはいう。「これまでの私の交響曲は、すべてこの曲の序曲に過ぎなかった」と。しかしこの曲、なかなか分かりにくい。90分というその長さと複雑な構成、そして歌詞がラテン語*1(第2部はドイツ語)という三重苦を背負っている。

 私自身もこの曲は敬遠気味なところがあった。壮大、荘厳の極地という意味では好きな曲だったけれども、どうしても全体を把握できず、また複雑な構成からくる各部のズレが聴けば聴くほど気になって、しまいには冒頭部だけを聴いて満足、ということもままあった。

 しかし、このベルティーニの演奏は違う。ぼくのなかの交響曲ランキングでは割合下のほうに位置していたマーラー8番が、この演奏のせいで一気に急上昇することになった。

 まず、荘厳な合唱を邪魔しない豊かな金管の響きを、この演奏の特長として挙げたい。いっぱいいっぱいな響きのバーンスタイン盤(グラモフォン)とは正直比べるのも申し訳ないほどの完成度だと思う。録音の良さとも相まって、合唱と金管(しかもフルパワー)の親和性を証明している。

 そして、縦のラインが常に整然としているのもいい。無味感想なテンポ運びかというとそうではなく、オケ全体で見事なうねりを見せてくれる。古い指揮者が「テンポのずれこそがオーケストラの深みを生む」などと言うことがあるが、この録音を聞けば、そのような発言が全くの妄言であることが分かるはずだ。

 壮大な部分がこの曲の大きな魅力であることも事実だが、この録音においては、そうでない穏やかな部分にも光るものがある。各旋律の抑揚、バランス、溜め、どれもが自然な説得力をもって聴こえてくる。長大な曲であるにも関わらず実に細かい部分にまで目が行き届いていて、それは、内装まで凝りに凝った壮大な建築物を思わせる。

 ・・・とまあ、ぼくがいくつかの言葉を弄したところでこの演奏の凄さを語り尽くすことなどできないけれども、この演奏が、少なくとも次のような作曲者の言葉を証明できているとはいえるだろう。すなわち曰く、「(この交響曲は)これまでの私の作品の中で、一番大きいもので、内容も形式も独特なもので、言葉で表現することができません。大宇宙が響き始める様子を想像してください。それは、もはや人間の声ではなく、太陽の運行する声です」と。

 評価(5点満点):★★★★★(文句無く名演)

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閑話休題/ケルン放送響の呼び名について●
 かつてはケルン放送響という呼び名で正しかったが、いまはWDR Sinfonie Orchester Kölnというのが正式名称なので、WDRケルン交響楽団というのが正しいようだ。さらに一歩進めて、「WDR」の意味を分かりよくするには、「西ドイツ放送」の文言は入れざるを得ないような気がする。とすると、ケルン・西ドイツ放送交響楽団というのがいいのか?とか考えてみたりもする。うーん。
 また、ケルン・西ドイツ放送響公式サイトでプログラムを見たところ、指揮者が実に豪華で驚かされる。ぼくが敬愛する首席のビシュコフはもちろん、インバル、ジンマン、マリナー、サラステ、フランク・・・嗚呼、ケルンに住みたい(現実逃避)。


*1:しかも、歌詞の意味も時代がかっている。たとえば冒頭部の合唱は、"Veni, creator spiritus"(来たれ、創造主たる聖霊よ!)という、現代からしたら違和感のあるものになっている。しかし、これが何の不自然もなく心に響いてくるのが、この曲の普遍性なのか?