2005年度を振り返る


 ご無沙汰しております。相変わらずの生活ではありますが、無事新年度を迎えたということで、2005年度を振り返っておきたいと思います。

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 何より大きかったのは、大学院への進学と新規オーケストラの組織に参画したことだろう。新しい環境2つに同時に飛び込むというのは、よく考えてみれば無謀。そりゃ胃潰瘍にもなるというか何と言うか・・・。ただ、今になって振り返ってみると、今しかできないことをするという意味に留まらず、積極的な意味でもやって正解だったのではないかと思う。今日は、音楽面にスポットを当てて振り返っておきたい。

 話は去年の4月に遡る。

 賛助として参加したとあるオーケストラのメンバー数名が、新しいオーケストラを作るという。その内容・目的*1は、ぼくが大学オーケストラにおいて諸先生方をはじめとする様々な人たちに影響されて形成した「オーケストラの理想像」に近いものだった。

 大学オケ―――その記憶は、全てが鮮烈でいまもぼくの心の血肉となっているけれど、その中でも特に現役最後の演奏会が終わったあとの印象が強く残っている。メイン・プログラムは、マーラー交響曲第一番「巨人」。いま振り返ってもよくあの曲をやろうと思ったものだと思うくらいの難曲だ。全てがうまくいったわけではなかったし、個人的に悔いの残る部分が多かったとはいえ、1年生から4年生までが相当の共有財産を以て演奏することができたという点で、団体史上近年に類をみないほどのもの充実した演奏会だったと思う。難曲ゆえの真剣味もあっただろうし、数多い練習によって先輩は後輩に4年間の蓄積をよく伝えることができた。

 だからこそ、演奏会が終わるとき思わずにはいられなかった。「このメンバーが入れ替わるのは本当に惜しい」と。当然、大学オケでは1年ごとにメンバーが変転していく。初めから期間限定なのだ。そして、大学の次のステージでもその願いを叶えることは難しい。メンバーをしっかり集め、かつあまり流動しないというのは、新設のアマチュア・オーケストラにとっては至難の業だ。東京だけでも相当な数のアマオケが存在するなかで、新しく作るというだけでは到底人を集めることはできない。

 しかし、ぼくには確信があった。アマオケはもとより営利行為でないのだから、そこに必要なのは「存在意義」しかあり得ず、見識ある演奏家(プロもアマチュアも)は、その「意義」にこそ敏感に反応してくれるという確信だ。それは、クラシック音楽に関わる人間の持つ問題意識の共有と言い換えてもいいだろう。

 ここにきて、「長い目で音を作っていきたい」というぼくの願望は、第一の目的ではないことになる。寧ろ、定見ある存在意義を掲げた団体の下に自然に人が集まり、結果として長い目で音を作っていく。そんな組織の原初の姿を、ぼくは思い描いていた。

 話を戻そう。結局ぼくはそのオーケストラ(東京ハートフェルト・フィルハーモニック管弦楽団命名)の設立に参画することになった。ところが、現実は甘くないというのはまあよく言ったもので、メンバーが集まらない。特に弦楽器は最後まで調整に奔走する羽目になった。

 「確信」などと言っておいてその体たらくか、と思われるかもしれない。しかし、最終的に集まったメンバーはまさに多士済々という言葉がふさわしい。大学で競演したことのある「これは」という人達を軒並み引き入れることに成功したばかりか、プロのメンバーも多数参加することになり、好評のうちに本番を終えることができた。録画を客観的に見返してみても、「このメンバーが入れ替わるのが惜しい」と思える出来だと思う。そして何よりあのときと違うのは、このオーケストラは大学オケとは違い、ここで終わりではないのだ。

 あのとき感じた「惜しい」という感情をもう一度感じることができた、そのことだけでも今年一年苦労した甲斐があったと思う。

 かくして組織は整った。あとは、団員それぞれの持つ「オーケストラの理想像」を集約・再構成しながら、前に進むのみ―――。


*1:「音楽を通した地域社会活性化のための活動や低年齢層における音楽文化の定着を目指した特別演奏会などを行う。」「社会福祉施設や公共施設などにおける訪問演奏を通し、音楽に触れたくても機会を持つことが困難な方々にして、無償もしくは非常に安価に芸術文化の提供を行う。」