「続・死ぬことと生きること」


死ぬことと生きること 続

死ぬことと生きること 続


 あなたの「尊敬する人」は誰ですか?

 私が一番に挙げるのは、写真家の土門拳です。これは、土門拳の写真・文章に触れて以来変わることがありません。年齢を重ねるに従って、良くも悪くも他人のアラが見えやすくなり、他人への帰依(に近い尊敬)は殆ど無くなるものです。にもかかわらず、土門拳に対する尊敬の念は今もって衰えません。

 土門拳のエッセイ・撮影記をまとめた「死ぬことと生きること」「続・死ぬことと生きること」を、最近古本で安く買うことができたので、改めて読みました。今日読んだ「続」は、土門拳の代表的な写真集のひとつ、「生きているヒロシマ」に関する撮影記を所収しています。この写真集は、広島の広島平和記念資料館に行った人はもちろん、行ったことのない人も必読です。写真の力はここまで強いものなのか、ということを感じられる名作だと思います。

 「続」の撮影記で、原爆病院に於いて死を目前にした少年に関し、土門拳は以下のようにいいます。
ぼくも健二君をかこんだ皆さんの記念写真を撮りたいと言った。明らかにぼくは嘘を言った。記念写真などが撮りたくてきたわけではなかった。しかしぼくがこの病室へ入ってから一時間というもの、病人はぼくから目を離さなかった。その目は、死という絶対の宿命を宿して、澄明戦列なきびしさでぼくの目にそそがれていた。ライカM3はぼくの膝に、また或る時は手に握られていたが、そのレンズを病人に向けることが、ぼくにはどうしてもできなかった。絶対非演出の絶対スナップというぼくのカメラ・ワークも、その目に対してはただ詐欺、瞞着、冒涜でしかないように思われた。ただ「記念写真」という定式化された約束事だけが、わずかにその目から許しを乞えるように思われたのである。
 私が広島に初めて行ったのは、4年前の8月11日でした。広島平和記念資料館を見学し、外に出た瞬間の空の強烈な青さを、いま私は思い出しています。あのとき感じた、腹の底に小さい種火が点いたような、頭が氷のように冴えかえったような、原初的でありながら名状し難い「決意」とともに。

生きているヒロシマ

生きているヒロシマ