ブラームス4番/チェリビダッケ指揮・ミュンヘンフィル(1986年LIVE)


 ブラームス交響曲4番、この曲はなかなか好きになれなかった曲のひとつです。しかし、おいしい料理で苦手な食べ物を克服することがあるように、ある演奏をきっかけにその曲を好きになる、ということもあるものです。

 この演奏は東京文化会館でのライブ録音。生で聴ければどんなによかったか・・・とは思うけど、このとき私は弱冠7歳(←弱冠とは言わない)。あーむりむり。将来的にはこのCDをできるだけ素敵なオーディオセットで聴いてみたいです。最近はデジタルアンプの出現で安価にオーディオが組めるらしいですしね。いい時代になったものです。あとは東京の過密がもう少し抑えられれば近隣にも迷惑が掛からなくていいのですが。

 さて、これはブラームス最後の交響曲ということで、その旋律や響きの特質が濃厚に出ています。私は、ブラームスの旋律や響き自体がそもそもあまり好きでなかったので、この曲が好きになれなかったのでしょう。今となっては、聴くたびに異世界に行ける素晴らしい曲、という認識だったりします。冒頭の大甘な旋律が最も有名ですが、これは今の音楽の環境からすると、とても周到な構成ですね。一番いいところから始まる。サビから始まるJポップみたいですね。第九なんかより余程聴きやすい曲だと思います。

 先日のブラームス1番で触れた、旋律の揺れや時に激遅となるテンポが、何の違和感も無く、まるでそれが譜面に書かれていたかのような自然さで、演奏に織り込まれていきます。wikipedia(チェリビダッケ)によると、「あるときチェリビダッケフルトヴェングラーにある曲のテンポ設定について質問したところ、フルトヴェングラーは『それは音がどう響くかによる』と答え、チェリビダッケは物理的なテンポ設定など無意味だという事を悟った」そうです。この言葉がこの演奏の全てを語っていると言ってもいいでしょう。音が響きを作り、響きが音を作る。幸福な無限の連鎖がここにはあります。そして聴き手は、その音楽を能動的に追うことでその音楽の構成員となることができるのです。

 歌詞の無い音楽は、それ自体では意味を持ちませんが、音だけでこれほど多くの感情が心に湧き上がる。これはクラシック音楽の特権と言ってもいいんだろうなぁ、とふと思いました。大推薦。