一青窈「一青想(ひとおもい)」


一青想 (通常盤)

一青想 (通常盤)

 ブームは思いっきり先取りするか思いっきり後取りするかを以て是とする、あまのじゃくっぷりを発揮し、一青窈聴いてみました。JRAのCM(「影踏み」ですね)で興味を持ったので。

 内容は・・・ボーカルはすごくいい「けど」、という感じ。具体的にいうと、全体的に、曲が声に負けてます。特筆すべきは歌の表現力。アホな歌手にはできない、様々な息のコントロールをモノにしています(但し声は細め。今後は声色でも多彩な表現を聴いてみたい)。スピーカーならば大き目の音量で聴き、またはヘッドホンで聴くことで、ボーカルの表現を楽しむのが良いと思います。

 で、曲には恵まれていないと。特に、アレンジ(中でも音色の選択)に問題があります。曲の大まかな構成、つまりメロディやコード進行*1は別にいいと思います。ポップスというのは最早、メロディやコード進行などで新規性を出すのは難しい状況であり、所詮再生産だと開き直るのが肝要*2ですからね。しかし、再生産にも、いい再生産と悪い再生産があると私は思っています(大まかな話ですが)。そしてそれを分ける分水嶺は、メロディの流れやコードの種類・進行を選択するセンスであったりするわけですが、それと同じくらい大切なのに忘れられていることが、「音色の選択」だと思うのです。

 このアルバムでは、その音色の選択にこだわりが感じられません。極めてアコースティックなボーカル(しかも上手い)との調和を考えたとき、安易にシンセを使いすぎています。「いろはもみじ(tr.4)」んかが分かりやすいと思いますが、バスドラム*3が音色・リズム共に曲の流れを邪魔すること甚だしい。アレンジ次第でもっと良くなる曲のはず。全体に使われているストリングスもオールシンセで全くボーカルと調和していない。「うやむや(tr.6)」などの人工的?なイメージの曲は意図的にシンセを採用することは寧ろ長所となりますが・・・。「江戸ポルカ(tr.8)」は極めて擬古的なところがアルバムから見て異色な感じ。こういうキワモノは、どれが受けるのかを調べるための実験的作品なのだとは思いますが、ちょっと狙いが理解できません。「大家(ダージャー・tr.9)」なんかも、アコースティック楽器を積極的に採用すべき曲のように思います。曲は凄くいいのに・・・。

 一方、「ハナミズキ(tr.10)」は、伴奏がピアノメインなので、何の違和感もありません。「大家」と比べるとその差は一目瞭然。こんなことなら、何曲かはアカペラを入れてもよかったほうが良かったと思います。寧ろこのボーカルならその方が望ましい結果になるでしょう。

 まあ結局、この後のシングル「影踏み」ではアコースティック路線を行っているので、この方向で行くのかなとは思いますが、ちょっと次回のアルバムの出来が心配だったりもします。期待しつつ応援したいです。

*1:和音の移り変わり

*2:再生産が是である理由:「同じコード進行で様々な曲が作られること」は、クラシックのように「同じ曲を違う演奏家が行うこと」と、結局そんなに遠くないからです。言い換えれば、同じ曲でも違う人が演奏するだけであんなに違う感情が聴き手に起こるんだから、同じコードでいろいろ曲作ってもいいじゃん。みたいな。もちろん、同じコードや似たアレンジを許容するとはいえ、例のオレンジレンジなんかの音作りにどう評価を加えるかはまた別論(←「アレンジレンジ」については、このFLASHに詳しい)。「無知は罪」という言葉は、大上段から見下す感じが好きになれませんが、こういう状態を見るにつけ、「無知は罪」という言葉が頭をよぎります。

*3:ドラムの中で、足で踏むやつ