MONSTER OF POP / 田村直美('96/3)

populaire2005-03-19


 仮に、音楽を「聴いて感じる印象」によってジャンル分けしてみると、 田村直美は「やたらいろんな所から音が聞こえてくる、エネルギーの塊」 といったところではないか。クラシックで言えば、リヒャルト・シュトラウスのような感じ。世紀の変わり目を境に、こういった歌い方・曲の構成 の仕方は鳴りを潜め、穏やかな力の抜けた音楽を耳にすることが多くなった。

 それはそれでいい。しかし、そればかり聞いていると、落ち着きすぎて どこか落ち着かない自分を発見したりして、自然とエネルギーのある音楽 を求めてしまう。今回、自分のCDラックの中から手が伸びたのは田村直美。 久しぶりに聴いてみると、改めてこのCDの奇跡のような出来の良さに感じ 入ることしきり。

 まず、先ほど言ったように、とにかく同時に鳴る音の数が多い。これが私に とってはエクスタシーを導く不可欠の要素。多いといっても勿論、無目的に多い のではない。旋律*1とコード*2と リズムという「土台」の生成する「ノリ」に数多くの音がまとわりついて、 更なる盛り上げを演じている。雑多な音がノリを増幅させる意味で、それは 必然である。音が多いのはクラシックにも似ていると言ったが、逆説的に 言えば、こういった曲が嫌いでなければ、その人はクラシック音楽と運命的 な出会いをする可能性が高い。

 また、歌い方も今では珍しい、声が太く張りのある歌い方。伴奏が ブラスを多用しており、実にそれとよく合う。ほとんど一体化しているといっ てもいい。これは、管楽器吹きで言うところの「息のスピードが速い」という こと。例えばトランペットを多用している「LET'S STAY TOGETHER(track2)」 などで分かりやすい。管楽器で高音を吹くにはどうしても息を思いっきり入れないと 出ないので(=よって小さい音は難しい)、その息の使い方とボーカルの息の 使い方が似ているところから、セッション感が高いのである。

 セッション感はとても大切だと思う。私が聴くに耐えないポップス曲の特徴 として、「ボーカルがいるときといないときの温度差」がある。ボーカルがメ インを張りすぎ、伴奏がおまけのようにしか付いていないものが多すぎる。 田村の場合、ボーカルが楽器とが対等であり、間奏で様々な楽器がが思いっきり 弾いても、負けることはない。ボーカルがボーカルとして孤立せず、音楽全体の 1パートとして出過ぎず、引っ込みすぎない絶妙なバランスを保っているのだ。

 こういった美点を持つので、聴くときは、ヘッドホンで聴いた ほうが面白いと思う(目を閉じると尚いいかも)。ヘッドホンはアンチも多いが、 ソニーの5000円くらいのヘッドホンでいいから是非使ってみてほしい。 音の洪水に酔いしれるというのは、本当に贅沢なことだ。 PS.文体を変えてみましたが、どうでしょう・・・?うーん。迷ってます。

*1:クラシックでいう「主題」

*2:和音