第九/バーンスタイン&ウィーン・フィル/1979年録音


 ひょんなことから、虎ノ門病院の広報誌(04年12月号・pdf)を見る機会がありまして、その中に、ベートーヴェンの難聴について医学的見地から見た記事がありました。これが面白い。「強く突き出した前額、深く窪んだ鼻根部、鞍鼻といわれるあぐら鼻のベートーヴェンの顔は先天性梅毒の特有の所見であり・・・」という書き出しからして、真面目なのか洒落てみたのか分かりません。また、交響曲5番をして「一種のしつこさ、集中性と反復には、精神的な一種の狭窄がある」と。なるほど・・・。

 そして私はこの広報誌を見たのをきっかけに、今年もまた第九を聞こうという気分になったのでした。私が一番好きなのはこれです(バーンスタイン&ウィーンフィル)。(←amazonでは2421円ですが、タワレコなどで輸入盤を探せば1800円くらいであると思います)。因みに一昨年の年末に小澤征爾の第九がリリースされ日本では盛んに宣伝されていますが、私としてはこのバーンスタイン盤ほどにいいとは思えません。

 さて、まず、この間のNHK音楽祭の放送における、評論家・黒田恭一の名言を紹介します。「第九は1−3楽章は長いですから、まあそんなに気合いを入れて聞かなくてもいいんじゃないですか」という旨の発言でした。実に思い切ったことを言ってくれたものです。クラシック・スノッブに言わせれば邪道なのかもしれませんが、私は明快でいいと思います。聞く気が起きないものは、気が向いたときに聞けばいいんですからね。とりあえずCDを買ってみるという選択が大切なんだと思います。このような人類の遺産クラスのCDであれば一生聞きつづけられますし。

 というわけでまず、ごく簡単に4楽章を簡単にまとめてみます(知ってる人は飛ばして下さい)。常に新しい局面を拓くということは芸術の揺るぎ無い一側面ですが、その観点からして4楽章は、それまで培ってきた伝統的な音楽を否定し、新境地を拓くというベートーヴェンの芸術家としての意思表示と言えます。加えて、時は18世紀後半、ロック・ルソーらによる「自由」という観念が確立しつつあった時期です。ベートーヴェンはその音楽的革新と共に、これから世の中が大きく前進するのだという確信を音楽に乗せようとしたのだと言われています。実際4楽章を見てみると、1−3楽章の音楽(伝統的な音楽)を否定するところから始まります。つまり、1−3楽章のメロディをちょっとずつ出しては、チェロ・コントラバスの低音で邪魔するのです。(←だからこそ、1−3楽章を適当に聞いてから4楽章を聞いてまた1−3楽章に戻るという聞き方もアリなんじゃないかと思います)。そのように否定した後、いわゆる有名な「第九のメロディ」が始まりそうになりますが、またもチェロ・バスに否定されます。全てを否定され、オーケストラに完全な静寂が訪れた後、再び「第九のメロディ」が弱々しくも温かく始まります(チェロ・コントラバス)。そのメロディはバイオリンに受け継がれ(ここはいつ聞いても涙腺が危うくなります)、様々な楽器によって変奏されていくのです。そして最後には大合唱へとつながります。cf.こちら(モーストリー・クラシック)が非常に詳しいです。

 演奏の特徴としては・・・技術的な問題はこの組み合わせですから皆無。そんなレベルは超越したところにある、精神の純化を感じることができます。この曲のテーマである、「普遍的なよろこび」(=いわゆる「歓喜」)と全面的に整合した演奏だと言っていいでしょう。指揮者が心の底から第九へ共感しており、それが見事に音となって結実しています(特に、旋律の歌わせ方が特筆)。この第九こそ、全クラシック音楽の中で、私が最も好きな音楽です。

 1年を分かつ時期である年末。人類史を大きく分かつ時代の記念碑である第九。年末に第九を聞くという日本固有の習慣は、世界に誇れるものだと思います。