ミノルタのカメラ事業撤退に寄せて


 今日、コニカミノルタがカメラ・フォト事業からの撤退を発表、メンテやブランド権の後継はソニーということになった。→プレスリリース

 ミノルタは、私が人生で初めて使った一眼レフ(SRT-101・親のおさがり)を作った会社だ。写真を撮り始めたときに感じた、新たな視点の発見やそれに伴う興奮・高揚感は、全てこのカメラと共にあったと言っていい。そしてあの興奮を思い返すとき、必ず一緒に思い出される「相棒」に冠された名前が「ミノルタ」なのだ。

 そればかりではない。様々な写真の知識が私の中に蓄積されていくその過程を通じ、ミノルタへの愛着は深まっていく。六甲山に由来する「ロッコール」というハイセンスなネーミング*1、創業者・田嶋一雄の様々なエピソード*2、AF一眼で一時得た7割という圧倒的シェアの伝説、他社より一歩先を行く素晴らしいファインダーの見え具合、レンズのボケの美しさ、エントリー機の設計にも気を抜かず上位機では徹底してユーザーサイドにたつというその設計思想・・・。

 そして様々な過程を経て至った結論として、現在メインで使っているのがライツミノルタCLなのだ。

 ミノルタというブランドは、上記の例を挙げたくらいでは及びもしないほど、世界中のたくさんのユーザーの想いを全て一手に引き受けているはずだ。それは、信頼・愛着と言い換えてもいい。カメラというのは「目の延長」であり、その愛着はパソコンなどとは比較にならないものであろう。そのようなカメラへの「愛着」は、たとえ製品スパンがどんなに短くなったとしても無くなることはない。それを切り捨てた罪は、どのような理由があろうとも、極めて重いと言わざるを得ない。

 また、当然のことだが、今回の判断は経営判断である。「経営判断」というのは一見合理的な名目のように見えるが、この場合、そうではない。ことはブランドの信用性に関わるからである。積み重ねたブランドの力が大きければ大きいほど、その誇りを捨てた報いは大きく、その後に残るものは蔑みでしかない。カメラで創業したメーカーがカメラをやめてしまっては、ミノルタミノルタ銘を冠する意味がないではないか。

 社長の一問一答にはこのような回答がある。「長い歴史があるので、『コニカミノルタはカメラと写真が看板事業』という(イメージは)今後も続くだろう。それを1日でも早く脱して、新しいコニカミノルタグループのブランドを再生する」と。しかし、この言葉は詭弁にすぎない*3。新しいブランドイメージを構築するということは、かつての『カメラと写真が看板事業』というブランドイメージを全否定することに他ならないが、自己の看板を全否定してしまうようなブランドに、「これから」を期待する者などいないからだ。それは「再生」ではない、「新造」とでもいうべきものだろう。77年の歴史*4に泥を塗るくらいなら寧ろ、新しいブランド銘を考えたほうが賢明だと思う。

 残念だ。本当に、残念だ。





*1:口に出して呟いてみるといい。

*2:来日したユージン・スミスのカメラが一式すべて盗難に遭った際、それを聞いた田嶋が自社のカメラ・レンズのセットを即座に一式提供した、というエピソードは有名。

*3:詭弁について意識して言っているなら経営者として救いようがないし、無意識で言っているとしたらただの馬鹿者であろう。

*4:1928年11月創業。ミノルタの歴代代表機が「7」を冠していたのは偶然か・・・。