歓喜よ!


 今日は第九の合唱あわせリハでした。(明日本番です→こちら)
 普通のオケが練習する部屋の2倍はあろうかという広大な部屋が演奏者で埋め尽くされるという圧巻。明らかにオケ単体の練習の時とは違う空気。違う表情。違うテンション。

 それまでの旋律が全て否定された(詳細はこちらを)後に始まる、チェロ・バス→ビオラ→バイオリンと受け継がれる「第九の旋律」に漂うのは、半年間ずっと練習し続けてきたこの大曲への愛惜の情だろうか。

 バリトンソロの「Freude!」に導かれるコーラスの「Freude!!」に込められた言いようのない圧は、人の声のみがもつという強大な力の片鱗だろうか。

 ホルンのクレッシェンドに導かれる、あの大合唱部の持つ凄まじい推進力は、本当にあの単純な旋律から生み出されるものなのだろうか。

 4楽章の全ての小節が、どこを切っても、「歓喜」という抽象的な概念を確かに感じさせるのはどうしてなのだろうか。


 縦の線がずれることもある。音程が合わないところもある。キズもいっぱいある。それなのに、どうして私は、吹かなければいけないはずの目の前の音を、感極まって吹くことができないのだろうか――――