お約束とは

 フジテレビ木曜2435-2505、「お厚いのがお好き?」という番組がある。毎回一冊の本を取りあげて、卑近な例でわかりやすく説明する番組で、読書を殆どしない私にはうってつけといえる。純粋に内容も面白いので、おすすめ。
 今日は筒井康隆虚人たち」だった。内容としては、小説の約束事を悉く破壊する小説だそうで。即ち、①時間軸がページ毎に一定で、1ページ1分で進み(既存の小説での時間は進度も方向も自由)、②登場人物が全て主役で(既存の小説のような主役脇役という区別がない)、③登場人物は皆自らが虚構の中の存在であることを自覚している、という。
 このような、所謂「お約束」を打破するものとしては、うすた京介の漫画がある。徹底して漫画的お約束(高橋陽一ゆでたまごなどが典型なんですかね?)を否定する姿勢は、マサルも武士沢もジャガーも変わるところはない。(個人的には、ポギーが絡む場面で見せる、「詩及びJポップ歌詞」への皮肉が一番好き)
 音楽でいうと、調性という縛りから音楽を解き放ったA.シェーンベルク(1874-1951)だろうか。
 写真でいうと、「被写体が何であるか了解できれば安心して忘れ去ってしまうような写真」を否定した、W.クラインや森山大道だろうか。
 お約束をお約束として明らかにし、否定そして超越しようとする姿勢・作品は価値が高いだろう。見えなかったものを見えるように提示されるときこそ、受け手は感心・感動するのだから。
 しかし、お約束を否定するだけならそんなに難しいことではない。提示した新しい手法が新たに受け入れられなくてはならないのだ。これが難しい。
 音楽はどうだろうか。調性*1崩壊後の現代音楽が広く受け入れられているとは言い難い。現在のオーケストラの演奏会プログラムを見てみると、調性音楽の担い手であったベートーヴェンブラームスチャイコフスキーなどの名前がズラリ。この原因は一体何だろうか。(これが分かったら一流の音楽評論家になれるんでしょう)
 写真ではどうか。森山大道氏らの写真は広く受け入れられた。氏らの写真は、一見普通の写真とは全く方向性を異にする、単なる荒々しい画像のように見える。しかしそれらの映像は、単にそれまでの写真を否定しているのではなく、それまでの写真と同等ないしそれ以上に、被写体から受けた感情を伝えている。被写体から受けた感情がプリントから伝わってくることこそが写真の第一義的存在価値であろうから、その意味で写真の本質をしっかり捉えていると言える。
 ともあれ、左のリンクで、氏の作品を見てみて下さい。万円単位の写真集がwebで見れますよ。おすすめは「写真よさようなら」。

補足>B.バルトークの言葉が参考になるかも。
「今日の音楽は決定的に無調性の方向に向かって進んでいます。しかし、私達が調性の原理というものを、無調性の原理の絶対的な対立物として把握するならば、これは正しくありません。無調性の原理というものは、むしろ調性の機能が次第に緩められていく形で発展していった結果、導き出されたものです。しかも、この調性機能の発展は段階的、連続的に進められたものであって、そこにはどのような断絶も飛躍も見られません」−バルトーク音楽論集より

*1:ヤマハ音楽事典によれば、音楽の旋律や和声が、ひとつの中心音(主音)のもとに秩序づけられ、統一されているような音組織の体系、だそうで。要は今耳にする殆ど全ての音楽の基本で、その基本ルールに従えばあら不思議、耳障りの良い音楽が自動的に生成されるという、便利なシステムのこと。