続・週刊文春

田中真紀子に関して、TBS系「サンデー・ジャポン」での議論が一幕あった。ジャーナリストらしい大林高士という男梨本勝が意気軒昂にマスコミ援護に回っていたが、その論理に呆れ返った。
曰く、「これは検閲ですよ!」曰く、「離婚したことなんて経歴のひとつにすぎないんだから、プライバシーにはあたらない!」(共に大林発言)とのこと。
まず、検閲の概念については、諸説ある。おおざっぱに言えば、検閲の概念を広く捉えるか狭く捉えるかの違いである。広く捉えれば、検閲という言葉は差し止め一般を指すのに対し、狭く捉えれば、検閲という言葉は差し止めの中のひとつの派生原理となる。
前者(広義)は、検閲の主体を行政権のみならず司法権も含めた「公権力」と捉える。但しこちらの考えをとると、もし表現・報道などによって重大な損害が生じると予想される場合、事前には一切の救済が認められないこととなるため、例外として厳密な要件の下で差し止めを認める考え方である。
後者(狭義)は、検閲の主体を行政権に限定し、そして行政権による差し止めは例外なくを許さない考え方である(判例はこちら)。司法権による差し止めは例外的に認められる。その要件は既に確立しており、批判はあるものの(当事者審尋を行わずに差し止めを認める可能性が残されている点)、それさえなければ全く問題ない要件(前回の記事参照)である。

また、離婚したことがプライバシーにあたらないという論は暴挙と言うほかない。自分の離婚が、単なる覗き見主義で3ページもの記事にされることを不快に思わない人間はいまい。ましてや公益性ゼロの記事である。さすがは週刊誌あがりのジャーナリストと言うべきか。

ともあれ、最低限の知識もない人間が大声で叫び、周りも付和雷同するという今の状態は異常だ。TV局が番組で反対派の人間を登場させないことは、情報操作と言われても仕方ないと言える。使い古された言い廻しで恥ずかしいが、インターネットがこのような一方的情報流通の閉塞感を打破することを願ってやまない。